6月14日夜 燐光群「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に改題されたか あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか」
燐光群っていうのは私にとってはちょっと大人な劇団で、あんまり自発的に観に行きたいなって思ったわけじゃなかったんだけど、お芝居を観るにあたって押さえておかなくちゃいけないポイント、みたいな思いがありました。笑ったり泣いたりっていう感情が簡単に動くのが心地よくって、こういう感じの穏やかでしっとり魅せるのはちょっと苦手なんです。
雨の中行きました。スタッフの対応は今ひとつ。傘を預けようとしてもあとで、と受け取ってくれないし、整理番号言っても番号の場所まで案内してくれず、結局自分よりも後の番号の人に先に入られちゃったり。丁寧なんだけど段取りが悪いって言うか。近頃そういうのばっかり気になっちゃうんですよね。年のせいかな。
最前列に陣取り観劇。やっぱり迫力感じる前が好き。するーっと自然にお芝居は始まりました。幼いころの僕。それを客観視する僕。おそらく沢野ひとし自身であろう男の独り語り。こういう進め方は初めてみました。シンプルな数種類の斜面を利用した舞台で、特に何を演じてるわけでもない何人もの役者が次々と言葉をつむぎ、お話が進む。同じ役を違う役者が次々と演じたり。袖で状況を語りながら、役を持って舞台に出てきたり。
華のある役者さんは正直言っていなかったけど、みんなが達者。こういう形のお芝居だから目立つ人がいなくて粒ぞろいなのがいいんでしょうね。当日パンフで作・演出の坂出洋二さんが「バブル期以降の高等労働遊民」というふうに言っていますが、確かに。沢野ひとしさん自身が「こんなわがままで女好きで身勝手な男がいるわけない」と言ってますが、それも確かに。次々に女性遍歴を重ねるわりには、主人公の魅力がどこなのかちょっとわからなかった。自分が女だから、愛人側、妻側の視線でとらえてしまったが、どうもあの男には惹かれない。
でも最後の「迷いながら生きるのが人生」みたいな言葉はよかった。(ずーんときて当日は覚えてたはずなのに、もう細かい言い回しやニュアンスを忘れちゃった。。。これも年のせい?)
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