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1月29日夜 オフィスプロジェクトM「ファイル/残置物処理班」

作者と同様、なんだか残置物というコトバにひかれます。コトバの響きそのものにも、その意味するものにも。引き取り手のない遺品。その処理をする仕事って…。ニュースになるだけでなくドキュメンタリーとしても取り上げられる孤独死。どんなふうに演劇になるんだろ。

隊長、眼鏡の男、芸人、泥棒、女の子、新人からなる処理班。次々と部屋を片付けていく、日々の風景。ふとした瞬間によぎる思い。そして、片付いた後に連絡がついた遺族。

綿密な取材に基づいているっていることに頷けるエピソードの数々がリアル。現実でもありフィクションでもあり。がしがし捨てていく作業の中で、仕事だから、と感情を殺し、てきぱき進める。しかし同時に、遺族などが現れた時のためにとっておく小箱を作る。たとえばアルバム、たとえば日記など、それぞれがその時に気になったものを残していく。小箱の存在はどうにもできない矛盾となって。だって、故人に対して何の感情も抱かないように必死で努力しているのに、それぞれの感性で思い出の品と思える物を選別しろなんて。物を物として処理する単純作業を、自分で命を吹き込んで。そのしんどさにすごく共感。

芸人の意外に静かなぽつんとした感じが、心を打つんです。こたつに座る姿や、故人の上着は平気で着られるのに食べ物には反応する姿。そして部屋に取り残された時。お金のための仕事って言っても、心が切れる瞬間。

その苦しさが身にしみたところで、遺族のと処理班の関わりに話がシフト。まあそういう転換ができるのも演劇なんでしょうが、テンションの違いに少し戸惑っちゃって。田舎から出てきたっていう設定がとてつもなく世俗的。笑いを狙っているのか、遺族=観客側の人=身近な人と受け止めて欲しいのか、とらえ方を迷いました。処理班側に感情移入したところだったので。

あとは音楽がよかったな。CKBのメロディ、が処理班にぴったり。そして歌詞がまるで残置物からのメッセージのようで。

全体のバランスとして、声の大きさとかは気になりました。演技も静かになったり大げさになったり。確かにトーンが一定だと飽きることもあるけど、急激すぎる変化も醒める原因になることも。エピソードが繊細だからそれだけでも十分。

でもこういう目線での作品っていうのはちょっとおもしろいな。

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