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elePHANTMoon 「ブロークン・セッション」 2009/11/18 19:30

二度観の可能性を踏まえて、初日にうかがってみました。好きなところほど、公演中どの辺りで観ようか迷っちゃいます。ほんとは終わり近くに観たほうがノッてくるのかもしれない、なんて思いつつ。

当日パンフによるといつものかっちり作り上げるイメージから離れ、物語にこだわらずセッションとして仕上げた作品とのこと。そっかぁ。

殺人事件を起こし刑を終えたが被害者への賠償を払いきれない弟のため、弟を殴られ屋的に用いて賠償金を払う兄夫婦。そのシステムを考えだしやり始めた夫婦やそれにのっかろうという親子、被害者達、その記録映像を残そうという者たちが集まってきて。

賠償金を払うために殴られるとかそれを受け入れて殴るとか、常識を越えて生きているが故にある意味冷静に事を運ぼうとする人々がひどく不気味。おかしいことをやっている後ろめたさとそれでもそれをやり遂げようとする意志のバランスが、人間の恐さと滑稽さを映し出してます。一方でどこまでも無自覚に無神経に、そういう覚悟を決めてる人たちの中にずかずか入っていく人たちの描き方がすばらしいんです。加害者の妹と撮影クルーの方々のような人々。一見まわりにとらわれず自分の価値基準で行動しているちょっと変わった人、ってのが、最後のカードがめくられる時には一番の常識派に見えてくるような作りが、マキタ作品の魅力と感じちゃうくらい。江ばら大介さん演じるカメラマンキャラに凝縮されてました。

そういうすばらしい人物造詣・状況設定は持ち合わせながら、今回はそこからの表現にいつもの作品との違いがあったように思います。例えば暴力シーン。どこまでリアルを追求しても舞台上で本物を見せることはできない殺人や殴る蹴るを、ぎりぎりまで舞台上に持ち込もうとするのがいつものやり方だとすると、今回は直接見せない形での伝え方を試しているように思いました。殴られる加害者と殴る被害者のシーンや見つけてしまった死体を解体するのに風呂場へ運び込むシーン。直接的な暴力そのものを見せて痛みや思いを想像させるやり方から、飛び散る血液や聞こえてくる音から起こっている出来事そのものを想像させるやり方へ。観客個人に任せられた想像はそれぞれに果てしなく広げられるし、広げられる分恐い。そういう恐怖を体感しながらも、私は何か違うっていう違和感を感じてました。

残虐行為が行なわれてるけどうっすら感じさせるだけでいいっていう作風の場合は舞台に載せないが故のぞくぞく感で満足ですが、そういうシーンが主題に近いところにあるelePHANTMoonの作品の場合、それを想像に任せちゃうのは物足りないなぁ、と。強くいうなら逃げ、もしくは怠慢じゃないかと。だって物理的に見せられないシーンをこういう形で見せてくれるところなんて、他にいくらでもあるんだもん。ここでぎりぎり攻めてくるきわどさが、私がelePHANTTMoonに惚れてる理由なのかも、と今回観て思った次第。

好みの問題ではありますが、私は残虐シーンを目の当たりにしたところから生じる、どう処理したらいいのかわからないような気持ち悪い感触とそこにおける人々の想いへの想像を求めちゃってたみたい。

とは言っても作品自体の得も言われぬ気持ち悪さやおかしさは十分。薄気味亜w)€ォさが転じて思わず笑ってしまうようなとこまであるし。楽しめはしたものの、今作品で目先を変えてみたってことに私が対応できてなかったせいか満足はできなかった。先入観ばりばりすぎて観方がやや曲がっちゃってるのはよくないな。フラットになってもう一回観ようかな。

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