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2009年11月

2009年11月に観たもの。

2日(月)   チャリT企画「プレイバックpart3」
        MCR「リフラブレイン」
3日(火)   ジェットラグプロデュース「肌」
        劇団印象~indian elephant~「父産」
5日(木)   渡辺源四郎商店「今日もいい天気」
7日(土)    渡辺源四郎商店「今日もいい天気」
        サンプル「あの人の世界」
8日(日)   KAKUTA「甘い丘」
       青年団「ヤルタ会談/隣にいても一人 関西編」
9日(月)  年年有魚「てのひらに滲んだら」
       乞局「汚い月」
10日(火) CIRQUE DU SOLEIL「コルテオ」
       ペテカン「拝啓、絶望殿」
14日(土) 箱庭円舞曲focus 「庭」
       元祖演劇乃素いき座+龍昇企画「チャイニーズスープ」
15日(日) 秘密結社ブランコ「慟哭」
       Mrs.fictions「15 minutes made vol.7」
17日(火) パラドックス定数「東京裁判」
       Festival Tokyo「4.48サイコシス」
18日(水) elePHANTMoon「ブロークン・セッション」
19日(木) パラドックス定数「東京裁判」 
21日(土) あひるなんちゃら「ジェネラル・テープレコーダー」A面
22日(日) Saladball「動員挿話」
       あひるなんちゃら「ジェネラル・テープレコーダー」B面
23日(月) elePHANTMoon「ブロークン・セッション」
26日(木) ワワフラミンゴ「骨のない男」
       毛皮族「社会派すけべい」
29日(日) 風琴工房「おるがん選集秋編」
        角角ストロガのフ「欲望貴族」
30日(月) 味わい堂々「最後の料理人」
       はらぺこペンギン!「再会」

31本。あーあ日数超え。

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毛皮族「社会派すけべい」 2009/11/26 19:30

しばらく劇団江本純子にかかりきりだった江本さんが帰ってきました。

私は駅前劇場での毛皮族が大好き。本多劇場だと迫力に欠けちゃうのよね。近さというか狭さというか、やや閉塞感あるほうが振り切れて楽しい。

そんな迫力を一番前で味わえるなら、と座布団席を希望してみたら、想像以上のドキドキ。近いっ!

20年前のあるドラマが大好きな鄙びた温泉旅館の女将さん。温泉女将の愛人になりたがっていたドラマの主人公・ジローがいつかやってくることを夢見て女将になったり、ジローにそっくりな男の愛人になったりするほど夢中で、毎年のように放映される再放送も欠かさず観ているのに、なぜか最終回だけはいつも観逃してしまっている。ドラマの中でも現実もどうしているのかわからないジローをどうにかして捜し出そうとして…。

設定や作り方やノリや、いたるところに昭和的エッセンス。吉本新喜劇とか「時間ですよ」みたいなイメージ。安心感がありつつちゃんと高揚させてくれる。劇団員が持ち場をしっかり守ってるからこそきっちり成り立っているエンターテイメント。

どっしりした色気をもつ女将を演じる羽鳥名美子さんやら、まるで屋台骨のようにがっしりと旅館の経営者一族3人を一人で演じきる柿丸美智代さんやら、イロモノの多いキャラの中でもきわめつけの部分をかわいらしくもちゃんとイロモノとしてインパクトを残す武田裕子さんやら。ほんと個性的なのに浮き上がらずにまとまってる。

ここに看板女優・町田マリーさんと江本さんの濡れ場まで組み込まれてるんだからサービス精神満開。ほんと小劇場版宝塚。

最前列特典。冒頭、町田マリーさんがハイレグレオタードで登場。花道で足なんか組まれちゃったらレオタードと肌のすき間まで見えてしまいますぅcoldsweats01ちょいと乗り出したら舐められそうな距離。キレいかったなぁlovelyごちそうさまでした。

敢えて言うなら、ちょっと時間が長いのと水害への警告をしてほしいのと桟敷と椅子の値段格差が欲しいのと。

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elePHANTMoon 「ブロークン・セッション」② 2009/11/23 19:00

正直もう一回行くかどうか迷いに迷いました。初日がすばらしくよかったからもう一度、ってわけじゃなく、自分の観方が間違っていたかもしれないっていう反省、もしくは観方を変えたらおもしろくなるんかいコノヤローっていうリベンジ的発想だったから。

いや、でも観に行ってほんとよかったぁ。だって、すごくおもしろかったんだもん。

おそらく内容はほぼ変わってないです。

犯罪被害者が賠償金代わりに加害者を殴ることで両者の心の平安を取り戻そうっていうシステムが存在し、ドキュメント映像を撮ろうってやってるうちに…。

始まってしばらくは素直に受けとめてただけだったんですが、どこかでスイッチが入っちゃってから。。。

完全にこれ、コメディでした。おかしくってたまらない。B級ホラーを観て、ありえねぇってげらげら笑っちゃうアレ。だから作中の人物が真面目に恐がったり怯えたりすればするほど、指差して笑いたくなる。だって、あんなシチュエーションの中で誰もが真剣に逃げようとしたり隠そうとしたり、必死なんだもの。いったん笑い始めたら止まらない止まらない。

そうか、だから暴力見せなくていいんだ。納得。

カラダを緩めて向き合うとこんなにも感じ方違うのか、と自分でも驚きでした。勉強になりました。

あぁ、そうなるとさらに同じ作品の二度観三度観がおもしろくなっちゃうんだよなぁ。

ただね、やっぱりどこかで反則プレイだとも思ってしまう。やるはずのことをやるには時間が足りなかったとか。暴力シーンを見せてないって言うのは俳優への負荷がかかってないってこと、そこから深読みすると練習する時間不足かな、なんて。だからこういうのは番外公演とかにして欲しいかな。こっちに路線変更とかじゃなく。

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「好き」の押し付けかなって迷ったとこから派生して思ったこともろもろ。

corichにelePHANTMoonの感想書いて公開してみたものの、なんか気に食わない。自分の感想なのに。ほんとはこういう書き方したかったわけじゃなかった。むしろしちゃいけなかった気がしてもやもや。

好きな劇団っていうのはいくつもあり、好きな理由はそれぞれなんだけど、好きだからその公演で観たいもの、観られると期待してしまうものっていうのはあると思う。ここに来ればこういう気持ちになれるはず、っていうような。こういう気持ちになりたいから観にきた、っていうような。

けどやはり同じ劇団であってもいつもいつも同じ作風とは限らないし、その時作ってみて一番面白いと思えるものはどんどん変わっていくんだろうと思う。そこで急激に方向転換されちゃったときの観客としての受け止め方ってとこで自分の迷いが。。。

まず一つ目。方向転換しようとしている好きな劇団に対する思いをどう表したらいいのか。

例として挙げると、最近の東京デスロックでも思ったんです。面白い。だけどなんかいつもと違う。俳優が疲れないとか、激しさが足りないとか。それが観たかったのに、ってちょっと不満に思ってしまった。でも主宰の多田さんとしては今作り手として興味があること、面白いと思うことを誠実に作品にしているんだと思うんですよね。過去におもしろい、と思ったことはその時点で最高に面白くみせた、でも今はこれが面白いと思っているからこれをみせたい、って。

じゃぁ、その時に私の「好き」の気持ちはどうしたらいいんだろう。。。好きだったもの、観たかったものに対し、未練たらたら。。。

でもそこで私はこういうのが観たい、こういうのを作ってほしい、って言うのは違うと思うんですよね。好きだし期待するけど押し付けてはいけない。観客の「好き」を押し付けて需要と供給のバランスをとるのは商業でいい。むしろ作り手の「好き」を押し付けてもらえるのが小劇場の醍醐味かと。

だから好きなものが観られなかったからって文句は言いたくない。今回はこう来たか、って受け止めるしかない。せっかく新しい事始めようとしてるのにケチつけたくないし、もしかしたらそこからもっともっと私も好きになれるおもしろいものが生まれるかもしれない。

ってわかっているし言い聞かせはするんだけど、気持ちとして物足りなくて収まりがつかなかったりもしちゃうのがやだ。それで書いてみちゃった感想も気にくわない。今回のelePHANTMoonの感想、完全にファンとしてのわがまま。でも言いたい。elePHANTMoon
が好きだ、だからelePHANTMoonらしい作品が観たい、今回はそれがちょっと足りなかっ
た気がする、だから不満だぁ。そこでelePHANTMoonらしさって何かっていうとそこは私
が勝手に決め付けたモノ。あぁ、もやもやする。

そこでポイントの2つ目。じゃ、そんな勝手な感想を表明するってなんなのかしら。

感想ってヤツもなかなか厄介なもので、もっとこうしたら面白くなりそうなのにとか思ったとしても、それってすべて自分の好みを押し付けている気がする。作品としての完成度を上げるためとか、キレイな口上をつけても結局は好きか嫌いかってこと?こうしたら自分はもっと好き、って思っても他の誰かはそうじゃないだろうし、同じ作品に5つ星な人もいれば1つ星すらあげたくないって思う人もいる。そうなると作品の好みの最終判断は作り手にあるわけで。そうなるとその辺は口を出す範疇の事じゃないし、じゃあ一体何が感想なんだろう???って。

あ、でももやもやした理由、ちょっとわかった。corichのようなちょっと大勢が集まるある意味公共的なサイトにそういう独りよがりな書き込みをしたから、だ。そうだそうだ、そういうことはここに書いておけばいいんだった。間違えちゃった。

感想を書くに当たってもその場と求められてることを考えなくちゃいけないって言うのを忘れて混乱してました。わめいていいかどうかはブログであろうがオフィシャルなサイトであろうがあんまり許されることじゃないかもしれないけど。「好き」を押し付けるなら自分の部屋の中でつぶやかなきゃいけないんだ。そうね、corichに書くべきじゃない感想を書いちゃった気がしたから自分の中でもやもやしたんだ。

と冷静になって改めてこっちでelePHANTMoonの感想を書いてみました。ま、押し付けなのは変わらないんだけど。ほんとはcorichとこっちと逆に変えなきゃいけないかもしれないけど、ま、めんどくさいし読み返したくもないし、今後の反省も込めてこのままで。

長々と書いてみて整理がつきました。失礼しました。

星の数ほどの劇団の中、せっかく出遭った「好き」なんだから、大事にしたい。好きだと思った劇団がどういう形で進化して行こうと、最終的にはそこの作り手のセンスを信じられるから好きになってるはずだし。作り手の「好き」と私の「好き」の一致、そういうhappyな状態を探り押し付けあわないためにも考えなくちゃいけないことっていっぱいあるんだな。

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elePHANTMoon 「ブロークン・セッション」 2009/11/18 19:30

二度観の可能性を踏まえて、初日にうかがってみました。好きなところほど、公演中どの辺りで観ようか迷っちゃいます。ほんとは終わり近くに観たほうがノッてくるのかもしれない、なんて思いつつ。

当日パンフによるといつものかっちり作り上げるイメージから離れ、物語にこだわらずセッションとして仕上げた作品とのこと。そっかぁ。

殺人事件を起こし刑を終えたが被害者への賠償を払いきれない弟のため、弟を殴られ屋的に用いて賠償金を払う兄夫婦。そのシステムを考えだしやり始めた夫婦やそれにのっかろうという親子、被害者達、その記録映像を残そうという者たちが集まってきて。

賠償金を払うために殴られるとかそれを受け入れて殴るとか、常識を越えて生きているが故にある意味冷静に事を運ぼうとする人々がひどく不気味。おかしいことをやっている後ろめたさとそれでもそれをやり遂げようとする意志のバランスが、人間の恐さと滑稽さを映し出してます。一方でどこまでも無自覚に無神経に、そういう覚悟を決めてる人たちの中にずかずか入っていく人たちの描き方がすばらしいんです。加害者の妹と撮影クルーの方々のような人々。一見まわりにとらわれず自分の価値基準で行動しているちょっと変わった人、ってのが、最後のカードがめくられる時には一番の常識派に見えてくるような作りが、マキタ作品の魅力と感じちゃうくらい。江ばら大介さん演じるカメラマンキャラに凝縮されてました。

そういうすばらしい人物造詣・状況設定は持ち合わせながら、今回はそこからの表現にいつもの作品との違いがあったように思います。例えば暴力シーン。どこまでリアルを追求しても舞台上で本物を見せることはできない殺人や殴る蹴るを、ぎりぎりまで舞台上に持ち込もうとするのがいつものやり方だとすると、今回は直接見せない形での伝え方を試しているように思いました。殴られる加害者と殴る被害者のシーンや見つけてしまった死体を解体するのに風呂場へ運び込むシーン。直接的な暴力そのものを見せて痛みや思いを想像させるやり方から、飛び散る血液や聞こえてくる音から起こっている出来事そのものを想像させるやり方へ。観客個人に任せられた想像はそれぞれに果てしなく広げられるし、広げられる分恐い。そういう恐怖を体感しながらも、私は何か違うっていう違和感を感じてました。

残虐行為が行なわれてるけどうっすら感じさせるだけでいいっていう作風の場合は舞台に載せないが故のぞくぞく感で満足ですが、そういうシーンが主題に近いところにあるelePHANTMoonの作品の場合、それを想像に任せちゃうのは物足りないなぁ、と。強くいうなら逃げ、もしくは怠慢じゃないかと。だって物理的に見せられないシーンをこういう形で見せてくれるところなんて、他にいくらでもあるんだもん。ここでぎりぎり攻めてくるきわどさが、私がelePHANTTMoonに惚れてる理由なのかも、と今回観て思った次第。

好みの問題ではありますが、私は残虐シーンを目の当たりにしたところから生じる、どう処理したらいいのかわからないような気持ち悪い感触とそこにおける人々の想いへの想像を求めちゃってたみたい。

とは言っても作品自体の得も言われぬ気持ち悪さやおかしさは十分。薄気味亜w)€ォさが転じて思わず笑ってしまうようなとこまであるし。楽しめはしたものの、今作品で目先を変えてみたってことに私が対応できてなかったせいか満足はできなかった。先入観ばりばりすぎて観方がやや曲がっちゃってるのはよくないな。フラットになってもう一回観ようかな。

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渡辺源四郎商店「今日もいい天気」 2009/11/5 19:30

大好きななべげんが東京に来てくれました。ほんとは青森のアトリエ公演で観たかったけど、まぁそれは贅沢すぎ。

再演作品だそうです。

一軒家に暮らす男4人、父、長男、長女の夫とその息子、そして年老いた猫。一家の太陽だった長女が亡くなってから侘しいながらも4人で助け合って仲良く過ごしていたが、猫が行方不明になったある日、家政婦派遣センターからモニターとして家政婦が送り込まれて…。

タイトルからもわかる通り、サザエさん一家がモチーフ。一家の25年後くらいかな?名前が微妙に似せられてる。台詞の端々にサザエさんの名台詞が出てきてほのぼの。

死に際は誰にも見せないという猫が、最期に一家のために、一家のみんなが一番逢いたいであろう人に化けて現れるという優しいファンタジーではありますが、生きる張り合いやさびしさをひしひしと感じさせてくれます。実年齢に近い俳優が方言で演じるといったリアリティだけでない、そこに生きている魂のようなものにがつんとやられる。そこがなべげんの素敵なところ。畑澤聖悟さんの作家としてだけでない演出家としてのすばらしさだなぁって思います。

奇を衒わず、単々とした日常だからあれっというところで感動させられちゃう。食卓を囲むシーンが何度もありますが、本物のご飯でちゃんと匂いをただよわせてるのもうれしい。幸せのおすそわけ。

次回公演は来月にすぐあるみたいだけど東京公演なし。ますますアトリエに行きたくなるな。

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東京デスロック「ROMEO & JULIET」JAPAN ver.② 2009/10/28 18:00

楽日に向かって進化するデスロック、一回だけなわけはない。

初めて富士見でマチソワ。時間潰しに困るのですよね。まわりに何かしら店ができるといいのに。公演期間中だけでもキラリの中にカフェ作っちゃうとか。キラリンクカンパニーで協力してじゅんばんこにマスターやったり。市民じゃない客のわがままです。

作品は、流れがわかっているだけに逆にスミズミまで味わえました。自分の感覚として、ストーリーがあるなら普通に観られるけど、そうじゃない作品の場合2回くらい観ないとどうやらダメみたい。構成に振り回されず、というか。どういう観かたをするか気持ちが定まってないとなんか損した気になる。

やっぱりずいぶんおもしろくなった気がしました。ま、そういった自分の受けとめよう、ってとこもあるんでしょうが。俳優が動く3幕は動きの激しさや危うさにわくわく。目隠しによる怖さで動けない中で、ぶつかったり思い切って暴れたりがいい。

それでもこれまでの作品に比べるとなんだか非常に優しい。大恋愛のロミジュリがダイナミックで生きるのに必死だったのに比べると、ずいぶん穏やかで余裕。一人一人の登場人物がっていうんじゃなくて、作品全体が醸し出す空気が。

今までの作品の印象が、生きるか死ぬかの瀬戸際でもがき苦しんでいた雰囲気とするだとすると、この作品は生も死も受け入れた悟りの境地のような。客に対して寄り添ってくれる感触というか。

うまく言えないけど。観てる間、デスロックっていう劇団を人の一生に当てはめて考えてました。一回死んで新たに生まれ変わったのかな、って。誕生し、死を扱う作品を作っていた初期(私はまだ出会ってませんが)。自分探しの旅、CARAVANシリーズ。反抗期を迎え、演劇を見直す演劇「再生」で物議を醸し。成人して半自叙伝的3本立て、演劇LOVE2007。ここでライフワークの「LOVE」が誕生して。大人になって時代を超えた価値がわかり始め、古典戯曲へ向かったREBIRTHシリーズ。生まれ変わるために死のうとしていたかのような激しい作品群。そして「その人を知らず」東京最終公演にてある意味での死を。拠点をキラリ☆ふじみに移し、再出発。これが前世の記憶を残したままでの新たな誕生。あ、もしかしたら死なずに三途の河で踏みとどまってたのかも。キラリ☆不死身だから(笑)あっち側が見えて出家して解脱して、なのかな。仏の教えを市井の民に易しく説く住職のごとく、演劇のおもしろさを富士見市民に届けようとした「リア王」「ロミオ&ジュリエット」。なんとも勝手な妄想ですが、観ながらそんなことを思ってしまいました。

命を絞りだすような苦しい作品に慣れてしまった身としては。。。っていう自分を置いてさっさと次のステージに行っちゃって、みたいなジレンマはありますが、観客のそばにいてくれる心地よさから今後の幸せを感じて思わず微笑んでしまうような高揚感もありました。行く末を見守るのが楽しみ。

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東京デスロック「ROMEO & JULIET」JAPAN ver.① 2009/10/25 19:30

ロミジュリ、日本・韓国の二本立て。昨年のキラリふじみでの「大恋愛」、すごく好きだったな。たぶん去年のNo1。ロミジュリの話自体シェイクスピア作品の中ではかなり好きだし、どれだけときめいたことか。

まずは日本バージョン。3部構成で。戯曲のコトバを見て楽しむ第一部。ストーリーを恋バナとして楽しむ第二部。恋は盲目を文字通り楽しむ第三部。

オープニングの大音響と派手な照明でテンション上がる上がる!

第一部TEXT。ひたすらロミジュリの台詞字幕が続きます。原語、坪内逍遥訳、松岡洋子訳、なんとそれだけで最初から最後まで通ってしまいました。俳優不在のまま。ええっ?おもしろがりながらもどこまで引っ張るのかと少しいらいらしちゃった。コトバでもそりゃおもしろい、だけど声が欲しい、カラダが欲しい。

なんだよ~と欲求不満のまま第二部HUMAN。ようやく俳優登場。自己紹介しつつ自分の恋の話。うまくいってる現在形や奥さんとの馴れ初め、嘘バナやらラブソングやら。最後に自己紹介したのはなんとジュリエットさん(石橋亜希子)。ロミオとの恋の顛末をかわいらしく、楽しそうに語ってくれます。でもまだ俳優たちはじっと立ったまま。汗が欲しい、息切れが欲しい。

目隠しをして第三部TEXT&HUMAN。手探りでおそるおそる歩みだす。すれ違い、誰とも触れ合えないまま、ようやくロミジュリの台詞を順々にしゃべる俳優たち。ん?しゃべってるけど返しがない。基本一人芝居。見えない相手と格闘している。

途中ジュリエット一人が残り、劇場外でジュリエットにたどりつこうとするロミオの映像が。キラリ☆ふじみの内部の図を示してそこに向かうっていうアイディアはおもしろいけど、ちょっと安易な映像使用は、どうも私は好きではない。テレビでも生放送のグダグダがあまりおもしろいと思えない。だって生で起きる出来事を目の前で楽しみたいから劇場に来てるんじゃない?映像観るならちゃんと編集した質の高いものがいいと思っちゃう。すぐ近くにいるのにムダにリアルタイム中継っていうのがなんだか許せなくって。どうせなら劇場外まで追いかけさせて欲しい。「ここでちょっと外に出てみます!おっと、ロミオ、あそこにいました!」くらいな。

そんなわけでそこだけちょっと気持ちが醒めちゃった。うーん。

今回のお気に入りベストが、中林舞さんがブリッジして台詞を言うシーンだったりするのはどこか感覚が麻痺しているのかも。

終わった直後はなんか物足りなかったです。俳優がなかなか出ず、疲れず汗かかず、コミュニケーションがないから、だったのかな。こっちがそういうデスロックに慣れてないだけ。振り返ってみるとずいぶんおもしろいんだけど。演劇なのかなんなのか、確かにロミジュリだったけど、ま、楽しいからいっか、って感じ。

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