劇団掘出者「ロミオの代わりはいくらだっているし、ジュリエットの代わりだって腐るほどいる」 2009/12/19 20:00
劇団掘出者の特別公演。掘出者って作風を説明しろって言われると難しいんだけど、なんかいつもいいとこ突いてくるって感じがある。劇団員さんの入れ替わりもあったようですが、特別公演ということで何をやらかしてくれるのか。
シンプルなタイトルが多いこの劇団にしてこれだけクドいタイトル。ちょっと屁理屈で攻めてくるところが特別公演ならではなのかな。
あるアパートでのできごと。親友の住まいに転がり込んでいる男は、失恋したばかりで妄想ばかりしている。もちろんフラれた女の子を登場させて。親友は彼女はいるけど妹の誘いでセミナーに参加しそうになっている。同じアパートの他の住人は宗教の勧誘にやってきたり、お母さんを軟禁していたり。一人じゃいられない、誰かに必要とされたい、そんな人たちが次々と。
大きく物語があるわけではなく、そこここに散らばる人間関係をこってり。それがくすぐったかったり痛かったり。ある意味当然のことしか言ってないんだけど、改めて思い出させられた気になる。
セミナーへ誘う妹に従い参加しようとする兄、阻止しようとする彼女のやりとり。セミナーなんてどれもみんな同じ、食い物にされるだけ、と言い切る彼女に対し、わかってないなぁと苦笑いする妹。自分は臭いから近寄るな、と悲鳴まで上げながらそんな自分は大好きだとけろっと言い放つ妹。一緒にいてどれだけ得できるか、で友達を選ぶ男。どの立場に立ってもそれは本当である、けど周りから見ればおいおい、っていう存在。
これでもかとそういう存在を見せられ、改めてタイトルを思い出すとそんな寂しいことお願いだから言わないで!と泣きすがりたくなる。ロミオやジュリエットといったこれだけ固い絆で結ばれた二人でさえ、結局本当は誰でもよかったんじゃないの、といわれればそれまで。そうだよ、私なんかの代わりなんてどこにでもいる。
そこで登場する百花亜希演じるお母さん。自分を軟禁している青年を息子と思い込み、大切な存在だと主張する。さらにそこに訪ねてくる人すべてを自分の息子とみなし、それが何人出てきても結局は一人、大切で唯一の存在だと言い切る。誰であろうと受け入れ、お母さんには損をさせてもいいと優しく語り掛ける。
そうなんだよね、すべての人が欲しているのは自分を唯一とし、受け入れてくれる存在。どんな迷惑をかけようがどんな損害を与えようが許してくれる存在。そんなことはわかっているし、恥ずかしいから知りたくもない、だからその存在を重たくいかにも、で登場させるのではなく、ぽこんと置いて登場人物をすべて並列において誰が誰でもいいのよ、私の子供、といい加減に言い切っちゃう感覚が尖っていて鮮烈。私が俺、アンタが私でもなんでもいいから、っていう感覚が悲痛。
最後の場面がちょっと説明くさくなっちゃったのがもったいないところだったけど。もっと突き放して上から目線で攻めて欲しかったな。
田川啓介さんの書く物語はおもしろい。横長の舞台の使い方はどの席から観てもストレスが大きくどうかとはおもったけど。
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