東京デスロック「再/生」横浜・東京デスロックver. 2011/7/18 15:00
夏です。デスロックのツアーが始まります。夏は横浜しか行けないだろうから、ここで楽しみ切ります
2006年の「再生」の再演、という形で。たぶん素直な再演ではないだろうけど。私が観始めたのは2007年なので、初演は観ていません。かなりのインパクト作品だったという「再生」、数年を経てどう再生されてるのかな。
私の場合、リピート前提で、の初回観劇。ここからかなりのネタバレなのでこれから観る方は読まない方がいいと思います。自由な妄想が妨げられて欲しくないので。逆にご覧になった方とは観かたを語りたいですが。
作品自体に物語があるわけではないので、あらすじや流れは説明できません。「幸せについて考えている」というような台詞が一人の女優によって繰り返された後、それぞれの俳優たちが登場し、自分の身体に根付いた動きをひたすら続けます。
台詞がある部分は理解できるけど、それ以外の前半部分はさっぱりわかりませんでした。わからない。わからなければ自分で妄想してつなげるだけなんだけど、なんか今回はそれもつなげられないくらい、よくわからなかったんです、前半。
アフタートークでモモンガコンプレックスの白神ももこさんが、「観ている途中で自分は暇つぶしを始めて、そうしたら舞台上の俳優も暇つぶしをしているように見えてきた」とおっしゃってましたが、私の感覚もそれに近く、わからない時間をどうしたらいいか、白神さんのように楽しみ方をシフトできるまでがちょっと困ってました。
俳優同士にコミュニケーションがない。舞台上、複数の人が存在し、それぞれ生きているんだけど相互につながってない。そこが私にとっては難しかった。それぞれの想いがみえないと物語が浮かんでこない。
けどね。後半、徐々に俳優の顔は上気し、動きは変わらないけどいっぱい汗をかいてきます。そして同じ曲が繰り返され、同じ動きが繰り返されてきます。うわーって泣けてきました。
冒頭に幸せ云々という台詞があります。幸せについて考えると過去のある地点で不幸せであった時間があった、というような。キーワードを「幸せ」とすると、今ここにいるこの人たちは幸せなのか、そうじゃないのか。その幸せじゃなかった瞬間をみんなひたすら繰り返してるのかもしれない、逆に幸せと思える瞬間を繰り返してるのかもしれない。どっちにしても笑えて泣ける。
私は中盤に挟まれる焼肉屋さんでのシーンが、ごく日常の些細な幸せに思えました。その些細な幸せにたどり着くために、毎日毎日のルーチンワークをこなしている姿が、曲や動きのループに感じられて。そこまで辛いわけでもない、でも楽なわけでもない、続けなければならない、そこに意味があって、その後に控えているのは焼肉屋で3人前ペロリと平らげるっていう程度の幸せ。そのささやかさが、生きていく上ではなんかうれしいし、切ないし、っていう。
結局は幸せなんだな。私で言えば、日々の仕事をこなし、休みの日は芝居を観て呑んで、っていう流れ。誰でもが毎日こなさなきゃいけない苦役はあり、それを毎日繰り返し、でも朝が来るとやっぱりいろいろとリセットされてる。新しく一日を始めてる。たぶん生まれ変わっても同じような人生を繰り返す。種類は違っても繰り返す何かを抱えて。
そういう作業って一人一人抱えているもので、社会生活としては支え合ってはいるのかもしれないけどどこか孤独で、ていうのもコミュニケーションのない部分で徐々に感じられました。
俳優それぞれが普段にないおかしな動きをすることで、例えば歯を磨くとか、トイレでお尻を拭くとか、たいがい他人に見られる部分ではないところ、まで意識させられました。見られてないけどその辺って結構一定のパターンを持っていて、たぶんルーチンで繰り返してる、自分で疑問を持つこともないまま。そういうプライベートな部分を見せられてるような変な恥ずかしさも感じました。
芝居中に何を考えてるんだ、って感じでした。
2回め以降、どんな感覚を受けるか楽しみです。
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