東京デスロック「再/生」横浜・東京デスロックver.③ 2011/7/24 15:00
デスロック横浜ver.最終日。本当は横浜公演最終日だったけど、その後にタダフラver.追加公演にあるから最終じゃなくなった。劇団本公演で別バージョンに大楽を譲っちゃうっていうのも懐が深い。
さて、今日はどんな感覚に出会うやら。
始まってしばらく、おかしな動きを見つつも、感じるのはすごい普通の日々の感覚。頭の中で何を考えていても、見た目どれだけ普通にしていても、根底でのおかしな発想は誰にでもある気がする。変な動きを俳優がしているのを観て、例えば電車に乗ったとき、向かい側に乗った人の頭の中で、実はこんなおかしなこと考えてるんじゃないかって想像して、それを覗けちゃってる感じがして、おもしろい。普通におとなしくしているのに、ぶわっと頭に浮かんでいるのはこんな動き。そんな普通に電車の中にいるような人たちの妄想、見られるはずじゃない部分なのに見られちゃってる。すごーいまじめな顔しながら、超くだらないこと考えてることってあるよね、不謹慎ながらお葬式とかですら、っていう、人間のおかしみ。逃避のような部分。
千秋楽の舞台では音響にちょっとした変化があって、音がぶつっと切られたりループしたりする部分がありました。
なぜかそのせいで、私は初めてこの作品が震災に結びついてしまいました。
普段意識もせずに普通に続けてる生活が、ぶつっと切られる。楽しくても辛くても不幸せでも幸せでも、いきなりぶつっと。先がない。と思ったら断絶したのに先を続けることを強いられる。何事もなかったように先を続ける俳優たち。
違うよ、今全部切られたじゃない!っていう気持ちと、何があっても続けててって祈る気持ちと。
日常生活で思ってるおバカなことを、ずーっとずーっと続けてることって大事なんだな、って強く思わされる。途切れても何がなくなっても、続けられる限り続けること。音が途切れるたびにそんなことを思って。
途中身動きを取れなくなったおじいさんや、車椅子でこの場を走りぬける人の姿が見えてしまいました。私の妄想ですが。
そこからの再/生。ぐっときます。
本当に勝手な意味づけが許される、素敵な作品。ツアーを重ねてどう育っていくのでしょうか。やっぱり夏のツアーも追いかけようかしら。
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